ここでは、松本で舞台活動をされている方々に焦点をあて、創作・表現についての想いや、活動内容の紹介をしていきます。
今回は「アートひかり」の小池美重さんにお話を聞きました。
小池さんは福島出身で震災を機に松本へ移住。
ダンスで培った肉体表現力と演技力を軸に少人数のプロジェクト公演や一人芝居を行う。
松本のほか、東京や名古屋で上演するなど精力的に活動を続けている。
まつもと演劇連合会のメンバーでもあり、ぴかぴか芝居塾ではストレッチの講師を務めている。
― 松本に来られるまでも演劇を?
高校演劇をやっていたので昔から演劇には興味がありました。ただ社会に出てからは仕事に没頭していたので活動はしばらくしていませんでした。
踊りは趣味として続けていて、よさこいをしたり、ダンスイベントを企画したりして広く活動していました。
震災後は仕事も減り、踊る機会もなくなってしまいました。
その後はボランティアの一環で、原発事故による現地の状況や、情勢を報道するジャーナリスト活動などをしていました。
― なぜ松本に移住しようと思われたのですか?
友人が先に移住していたというのもあります。
市内の下見に街を見て歩きましたが、すごくきれいで情緒があって、すぐに気に入りました。ここに住めるなんて幸せだな~って(笑)
なにより演劇が盛んなのに驚きました。
たまたまその時「まつもと演劇祭」をやっていて観劇したんです。
地方都市でこれほど劇団があるところは珍しく、ここなら私も演劇ができるかもしれないと思いました。
住みだしてからは、仕事をしながら「まつもと演劇連合会」主宰の「ぴかぴか芝居塾」で再び演劇に触れる事ができました。芝居未経験の人たちが集まってみんなで楽しく演技体験をするワークショップです。
さらにしっかり演技を学びたくなったのでその年から新設された「俳優コース」を受講しました。その後卒業生たちでまつもと演劇祭にでるために「ごったに」というプロジェクトチームを作ったんです。
今思えばその時の芝居は初心者にはレベルの高い難しい構成でした。
やっている方は楽しかったですけどね。
それからもユニットを組んだりしていろいろ実験的な芝居もやりましたが、最初はなかなか評価が厳しかったですね(笑)
それからは芝居塾で講師をされていたアートひかりの仲田恭子さんの演出に感銘を受け、仲間に入れてもらいたいと思い、以来参加させてもらっています。
― 小池さんの芝居はどうゆうスタイルですか?
仲田さんに作・演出・構成をつけていただき、私のような初心者の一人芝居でも見ていただけるまでにしてもらっています。主に小劇場やお店などの小さい空間でやることが多いし、路上でやることもあるので、自分の体を使ってどこまで表現できるかにこだわっていきたいです。
東京では御堂でやったりしましたよ(笑)
やったのは自身の震災体験談をもとにした一人芝居。
重いテーマだからこそ、ライトに表現している感じです。
震災は人生の価値観を大きく覆す出来事でしたから、これからも続けていきたいです。
自分の理想は舞踏と演劇をミックスした表現をしていきたいですね。
4月にピカデリーで劇団タヌキ王国の芝居に客演するのでぜひ見てください!
― 演劇の街・松本としてさらに発展させるためのアイデアはありますか?
昨年、山海塾の舞踏手 石井則仁さんにご協力いただき、ピカデリーホールでワークショップを開催することができました。松本にいながらトップレベルの方に学べる機会というのは大変貴重な事です。
今回は勢いでスタートしてしまったのですが、こういった取組みをもっとしっかりと枠組みを作って、街やホール主体で開催できればパフォーマーの方も、協力してくれる方もやりやすいですし、もっと可能性が広がると思います。
松本演劇界はすごく入ってきやすいし、いい意味でユルいので(笑)どんどんいろいろな団体やプロジェクトと交われると思いますが、経済的な事が発生する以上、役者、スタッフ、その他お手伝いしてくれる方への仕事に対するきちんとした報酬慣例はあったほうがいいでしょうね。
芸術は(芸術だからこそ)安売りしてはいけないと考えます。

― ピカデリーホールとしてできることは?
さっきの話しの続きでイベントの企画運営をするうえでも、ピカデリーホール主催で打ち出してもらった方がやりやすいですね。
パフォーマーもスタッフサイドも、主催者が明確な方が関わりやすいし、情報発信もできます。
こういった企画は県外からもお客さんを呼べるし、関係者のレベルも上がるので松本演劇を全国に広める機会にもなります。
ただ施設の古さがあるので、そのあたりの改修が進めば可能性は無限ですね。
今後も松本演劇の中心地として、さらに発展させてもらいたいです。
(2016年1月25日・ピカデリーホールにて)